クロスカントリースキーはシーズン終盤へ、スキーをやって感じた公園はコストの考えへの抵抗感

 こんにちは、いつもご愛読いただきありがとうございます。北海道を中心にガーデンやランドスケープの仕事をしている柏倉一統(https://twitter.com/KUMAssociates )です。

イントロ

 20年21年の冬のシーズンは、プライベートではどっぷりとクロスカントリースキーの練習をたくさんすることができました。

クロカンで体感

 そのクロスカントリースキーをすることによって体感したことが、僕の中の思っていたことにマッチする部分があったので、忘備録的というか、ドラフト、草案的にここに記しておこうかと思いました。

公共物のコスト感

 ここ10年前くらいから出てきている、公園、自治体が運営しているスキー場もそうですし、他にも図書館のことであったりとお金も業績も見えて来ない、または「見える化」が難しい施設のコスト的意識が、僕にはとっても悲しい現実に思えていました。

 そのために企業に委託をお願いして、大変になってしまった事例も聞きますし、またその現場では大変になってしまっても、好印象の人もいるのは確かでどれが正解とも言えない現実があります。

 これはブログなので、こんな書き方をしますがどっぷりと資本主義の観点からしたら成果を生まない施設は無用の長物、コストでしかない。

 それは当たり前です。前田のクラッカーです。

 クラッカーはいいとして、その背景にも少子高齢化、税収の低下、国からの財源の確保の難しさ、地方の衰退。そんなことがあるのも理解しております。

 僕も、税金の支払いは多い方ではないです。

 でも単純に悲しいのです、目先のコストのためにその土地の子供達の公園で遊ぶ機会を失うこと。スキーを体験することの機会損失、教育の機会損失。また大人であっても生涯スポーツの機会損失、生涯教育の機会損失。

クロスカントリースキーで味わった公共物のありがたさ

 働いてから、公園の仕事に携わることの多い良い機会をいただきましたが大人になってから、本気で利用することはありませんでした。子供がいるわけでもないので公園デビューも仕事でしかしていません。

 ですが、今シーズンにクロスカントリースキーをすることによって本気の遊びのフィールドが公園になりました。初めて公園を使い倒した気分がしております「こんなにもいい利用方法があったのか」と、そんな気持ちになっております。

自走する、自立するなんとか

 こんな言葉が、最近の”まちづくり”の方々はよく言います。お金がない自治体、また失敗したくない気持ちがその言葉に食いつきます。

 でもその言葉が生まれた背景は、

助成金に頼らない商店街の復活

からでてきたかと思います。なので、公園やその他の施設には当てはまらないかと思います。もちろん公園の一部を貸し出して飲食店を民間に運営してもらうくらいはいいかと思います。

 利用者は休む施設も必要ですし、自治体が運営して美味しい飲食店が出来たイメージもないので。

 なので、「自走する、自立するなんとか」というのは元々、公共的福利のためにある施設には当てはめて欲しくないのです。公共的なものの価値観もその自治体の魅力になると僕は信じています。

 なので安易にコンサルさんの言う

 「民間に自費で作ってもらって」

 なんて絵空事を信じないでほしい気持ちでいっぱいです。

 民間だって、しっかりとしたリターンが見込めないと投資ができません。

 また、そういった「民間が投資して」「自走する」といったコンサルさんは小さい企業を運営したことがないのでしょうか??

それとも仕事を撮りたい一心で、コケそうなことでも挑戦するのでしょうか。

 僕は、あまり経験もなく、また再生して成功した事例研究も少ないかもしれませんが。

 単純に、も一度言うと

 なので、「自走する、自立するなんとか」というのは元々、公共的福利のためにある施設には当てはめて欲しくないのです。公共的なものの価値観もその自治体の魅力になると僕は信じています。

この言葉につきます。

 なんとか、公共的な福利としてのロングスパンの見通しを大切にした、コスト感の減少があれば嬉しいです。

 では今日はそんなところで、したっけ!

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