ヴァイオリンソナタに感じる


こんにちは、先日音更町で行われたクラッシックコンサートへ行ってきました。
ヴァイオリンソナタのコンサートは初めて観ました。そこで感じたことをひとつ。
何世紀も前の音楽を再現すること、それができるにはやはり譜面、いい音楽として残された譜面、弾き継がれた譜面が残るのかと、それは建築、ランドスケープデザイナーにも通じることがあるかもしれません。
いい建築、庭園、ランドスケープデザインは残ります。
また、そのいいデザインはその当時はモダンであり先進的なもの。次の世代も感動するものなのかもしれません。

今回のコンサートは、譜面を演奏者が様々な視点から、どのような音楽かを問い。再現する、いわば、庭園であればピアノが園路や風、水の動き、人々の動線を奏でて、その道に草木が揺れ、バラが咲くようなヴァイオリンの演奏でした。
とても素晴らしい演奏で、涙腺が溢れ。最後には思わずスタンディングオベーションです(^^)
いいものに触れることは、これからの自分のデザインにとってとても良い資源になることを改めて実感しました。
ありがとうございます。

では!また。
via PressSync

いいダラダラ

坂口安吾堕落論』を電子書籍で読みました。
戦後の背景は僕にはわからないのですが、今にも通じる部分があるのではないかと思います。
効率、生産性がとても重要視される社会にとってダラダラ(ひとまず堕落=ダラダラとさせてください)はやはり、してはいけないこととの暗黙のルールが存在しているかのように思います。ここ最近では、余暇を十分にとって発想力を豊かにする方針の会社も増えてきているようですが、まだまだ一般的ではないか思います。

終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ
抜粋: : 坂口安吾堕落論iBooks.2012 : https://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewBook?id=566873408

上記の一文、とても心にひびきました。
休みのときに、なにをしてもいいと言われてもなかなか自由な発想ができないかと思います。
自由が故の不自由、なにをしていいのかわからない。いい感じにダラダラできない。
そんなことはないでしょうか。
戦後の社会から見れば、楽で、自由で、素晴らしい社会になってはいるかと思いますが。
勤勉=一生懸命=美しいの構造はあるのではないでしょうか。
どこか勤勉に遊んでしまう心もちなど。

そこで、これからのより豊かな社会に貢献できるのであれば、ランドスケープデザインにおいて心地よい空間を考えること、ゆっくりくつろげる空間を作ること。一生懸命お金と労力をかけて遊ばなければいけない構図の空間ではない場所を考えていく必要があるのかと考えました。

みなさんもお庭を見て「今週末あれしなければ、これしなければ」と考えていませんか?
一旦立ち止まって、本当に必要かを考えている格好を装って、ダラダラしてみてはいかがでしょうか。

では、また