そこに入り込む余地を残せるのか

こんにちは、いつもありがとうございます。今回は、ちょっとめんどくさい話です。

こんなtweetをキッカケに考えました。

この前回の記事の深堀的な部分になります。

さてお庭や、景観(ランドスケープ)の設計をしていると。いや、するにあたって心がけていることがあります。簡単にすると「作り込まない」ことなんですが、平易にうけとって中途半端で終わらせるってわけでもありません。

「少しの違和感を残す」って表現される方もいてそれと同じかと思います。作り込まれたものって人(ユーザー)の入る隙がなくて息が詰まってしまうことがあります。文章を生業としている方であれば行間みたいなものなのかもしれません。

私たちは、結果的に目に見えるものを作っていますが、目に見えない余白を残すようにしています。何らかの‘おはなうえるくまらいふ’的な雰囲気はでてしまうものですが、使うユーザーがあってのガーデン、ランドスケープ、建築、であると思うのでそのユーザーが入って完成になって欲しいのです。

ユーザーってのは、ガーデンであれば施主や家主のかた。家族、ご友人、近所の人も含めて考えています。それは企業のランドスケープであっても同じで、働く人、使う人、通り過ぎる人。それが全て揃って完成になって、空気感、雰囲気、英語や専門用語で言うならばアトモスフィアを形成するのだと思っています。

先日、4年ほど前に完成したランドスケープの現場のお手入れ、点検の仕事に伺ったところ素敵な光景が広がっていました。

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(色合いに引っ張られないように白黒に変換しています)

こちらが人が居ない風景で、このお店はジェラート店なのですが今季の営業が設備の都合で営業できていません。なので、全く人の介在していないような風景になっています。線形はある程度美しくまとまっているように感じますが、なんだか寂しい雰囲気になります。

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次にこの写真、この写真はたまたま隣の本店で売っているソフトクリームをオサレ女子のお二人が座ってソフトクリームを食べていました。

これが、設計通りなんですね。

全く雰囲気が違って見えませんか?

このあと、3組ほど家族連れ、子供達が座ってソフトクリームを食べてくれました。

行ってみたくなる、座ってみたくなる、しゃべりたくなる景観をつくる。それが本来の仕事だと私は思っています。

このデザインは一見、ただの花壇なのですが、人が座りたくなる高さに設定しています。で座ってもらったらとても流行っているお店のように見えるデザインになってるんですよね。

あとジェラートが美味しい季節に人の視線をチラチラとジューシーな色合いのお花が揺れて「ノボリ」「暖簾」のような効果を出しています。

なので、人の入り込む余地を残しているんです。

結果的には、人ではなくてもいいのかもしれませんが人が風景にもたらす効果ってとっても重要な部分になります。自然だけでいいのであれば、放ったらかしでもいいのです。勝手に草木は生えてくるのですから。なので外だけど人が使わなければいけない部分、範囲の為に景観をデザインする人間が必要になってくるのです。

そして、使ってくれるユーザーがあってこそその景観は完成するのですね。

そう、私は信じています。

では、また。

したっけ!

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その後、ちゃんと自分も風景の一部に入ってみました。

あ、ソフトクリームが食べたかっただけ??

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