こんにちは!
いつもありがとうございます。
今回は、ちょっと僕の思うことについてです。
「里山資本主義」という本が流行る少し前くらいから日本全国的に里山ブームを感じます。「里山資本主義」自体はとっても良い本で、システムなど僕もいろんなことに参考にしました。
では、その里山ってなんでしょう。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/07/10
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (48件) を見る
目次
里山とは
人里近くにある、生活に結びついた山や森林。薪(たきぎ)や山菜の採取などに利用される。適度に人の手が入ることで生態系のつりあいがとれている地域を指し、山林に隣接する農地と集落を含めていうこともある。→里海*1
やらせ里山の存在
ってことは里山ってのは人の生活と自然が共有するものがあって、人が手入れをした林や森のことなのです、人が介在しない林や、森は里山ではないと僕は思うんです。例えば里山構想なんて聞きますが、そこに住む人が山に関心がなければ、里山ではなくただの山、森、林かと。ただの緑あふれる風景ですから里山でもなんでもありません。もともと集落もなかった場所に里山構想があったりして目が回ります。
先日、仕事の関係上、いろんなランドスケープの事例を調べたところ東京のど真ん中で里山デザインを行った成功例をみました。ですがどうでしょう、地理的には里山ではなく海岸線や砂丘の土地の記憶があるはずの場所でした。もはや、そうなると里山っていうファッションです。
里山と付き合うのは大変
現代の生活に慣れた私たちは、薪を集めたり、山菜をとったりと、本当に好きな方ではないかぎり出来ないことが沢山あって、ディズニーランド以上に夢の国の出来事かと思います。手入れをしないと里山ではないんですから。
里山を推すのはジジイだらけ
こういった地方の活性化にともなった里山構想に目を輝かせるのは、田舎で育った都会のジジイだらけです。里山を守ったり、里山を再生をがんばりたいそうですが、都会の生活に慣れたジジイ達には、里山暮らしはできません。スーツを着て億万円を動かしていた人に、煤だらけの顔になって炭をこさえたり、薪ストーブの煙突を手入れすることが出来るのやら。山の斜面を歩いて山菜とりなんて危険すぎます。
で、つらいから放置ですか
そう、また放置ですよ。流行りがさったら放置です。地方創生のカネに群がり。里山ばんざいの10年後20年後。これって、地方に廃墟と化したレジャーランドの姿ににていませんか?
まだ、そんな事態にはなっていませんが、僕はそのような未来が来るのではと思えて仕方ありません。
では、どうするのか
僕の考えは、もう正直な話でゴメンなさい。見捨てなきゃいけない地域があるのは仕方がないことかと思います。だって、僕らがリアルジジイの時には日本の人口が1億人を切るのですから。保てない自治体、集落があってもしょうがないかと思います。保てなくなったときの、金銭的な負債の問題はちょっと僕には言い切れませんが。
また誰かの里がなくなる悲しみがあるのもわかります。
また仕事上、僕たちもちゃんと土地の記憶を読んで、提案をしていかなければならないと感じました。
つづく
では今回はこの辺で
いつも、ありがとうございます。
したっけ!