こんにちは、いつもご愛読いただきありがとうございます。ガーデンやランドスケープの仕事をしている柏倉一統( https://twitter.com/KUMAssociates )です。
2020年は北海道恵庭市にオープンした公園、花の拠点はなふるのデザインのお仕事をいただきました。
2019年にはイギリスで行われるチェルシーフラワーショーでゴールドメダルをいただきました。
目次
僕の考えとして必要はない
まずはじめに私の考えとしては
「癒し」は必要ない
と思っております。
必要ないが内在しているもの
それは、必要はないのだけれども、人々の口にする「癒し」というものは、屋外の空間にも溢れているということです。
それがガーデンなのか、ランドスケープなどの公園施設なのかは別として、雑草の蒸し返す空き地であれ、もうすでに内在、内包されているものなので、そこを強調しなくてもよいという考えです。
人はただ単純に緑色を見るだけでも落ち着くという話もあるものです。
「癒し」よりも、「楽しい」
私の個人的な経験にすぎません、この記事のために「癒し」の意味も「楽しい」の意味も広辞苑で調べません。
ですが、世間一般的に口に出る「癒し」とういものは、マイナスになった状態をプラスに、もしくはゼロにする効果のような気がしてなりません。
傷ついたり、悲しんだり。そのような人の場合は一旦「癒す」というものは必要なのかと思います。そのために病院があります。
でも私の言いたい「癒し」が必要ないというのは、屋外空間にとって「楽しい」の方が身体にも、心にも優しいと思う他なりません。
イケイケビジネスマン的に言うと、フィジカルとメンタルのヘルシーにフィクスするとコミットメントしますてきな(笑)
なぜ「楽しい」が必要なのか
「楽しい」という言葉には、明日への活力という力もあると信じています、実際には「癒す」ことをしても、「安心する」までのバロメータの上昇であって、それ以上に感じる。
「明日への活力」
「未来への希望」
まではいかないのではないでしょうか。
なんか小さな町の議員さんの選挙演説みたいな表現ですが(笑)
いま、必要なのは「明日への希望」です。別にコロナヴィルスとは関係なくて、街や情報の疲弊感から感じています。
私も自分自身の周りの世界しか見えていませんが、それが「癒し」ではまかなえないと思うのです。
幼稚に書くと、もっと「アゲアゲ」な感じが必要かと思います。
なので結果単純な言葉にして
「楽しい」
になります。「アゲアゲ」と言っても、「踊る阿呆、見る阿呆」の簡単な見方としての踊って誤魔化す、のようなことではなくて
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ」の踊っている、イコール「未来を信じて頑張っている人」という阿呆を歌って踊って励まし。その楽しいで世間を作っていけたら幸せなことなんじゃないかな、
とそんな風に思いました。
「楽しい」を作りたい
なので、私は「癒し」以上に「楽しい」を作りたいと思っています。それは今の私のガーデンであったりランドスケープの現場でのお話です。
この記事を読んで下さいまして、ありがとうございます。
誰かの役に立っていたら幸いです。
では、したっけ!