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家と庭の関係性について

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こんにちは、いつもありがとうございます。

お盆はどうお過ごしでしたか?親戚が集まったり地元に帰省したりと、何かと家族、親戚、親族があつまったり、地元の仲間と会って近況報告なんてされた方も多いかと思います。お盆って、そんなことがあってお墓まいりをしたりと、なんだかいいですよね。

ここ最近『「家」と「庭」が一体となって「家庭」になる』なんてキャッチフレーズを見かけます、見たことありませんか?

マイホームを建てる予定だったり、お庭を誰かにお願いしようかと思うと目にすることがあるかと思います、そこでそのキャッチフレーズなんですが私は違和感を覚えるのです。

「家庭」というのはもともと中国語が語源で一万円札の諭吉先生が Home に対して当てるのに持ち込んだとか、はっきりとしたことはちゃんと調べていないのでわからないのです。

「庭」っていうのも「庭付き一戸建て」のお庭を想像されることが多いかと思いますが、もっと大きな範囲が「庭」の範疇であったりします。「庭」というのは市場の「場」の字の意味があります。けっこう広いですよね、◯◯朝庭とか使い方があったりするので、今現在一般的に思われている「庭」って部分は「花園」「ガーデン」に相当するのであって、でも「庭」という字の持つポテンシャルはコミュニティーまで広がっていくのです。どちらかというと「ランドスケープ」とか「広場」に近いものです。

「家」というのは屋根がついたものです、そこで「庭」がつくと、家のある場所、だったりコミュニティーかと思うのです。ですが先ほどの『「家」と「庭」が一体となって「家庭」になる』と書くとなんだか、庭が無いと家庭が築けないような印象を与えかねないのではないか。
という疑念が湧くのです。

いま現在、諭吉先生が持ち込んだ「家庭」がそれ以上に浸透していて、「家族」と重なっている部分があるかと思います。「家族」には場所の属性がなくて「家庭」になると場所の属性を含んだ「家族」になるようなイメージを持ちます。

大雑把な話、この文章上の「花園」や「ガーデン」がなくても家庭はつくることができます。狭義の「庭」なんてなくても「家庭」です。

そんなことよりも「コミュニティー」になってくると、必要なものが出てきます。それは人です。家族が小さい単位で、ちょっとお隣さんとか、はたまた町内会だったり、マンションの自治会であったり。と人のネットワークがどんどん広がっていくのですが、広げすぎても収集がつかなくなるので、昔のヤンキーが言ってた「俺の庭」程度に納めときましょう。

今回の記事は、この辺でまとめていきたいと思うのですが。結局なにが言いたいのかと言うと、そんな陳腐な言葉よりも家族を大事にしてくださいってことなんですよね。そりゃキレイにガーデンを整備したらコミュニティー的にも良くはなるのですが、まず自分たち、人が大事です。

お盆に、多くの親戚が集まって「あーでもない、こーでもない」ってなって「うわ、やっぱこのオヤジめんどくせー」ってなっても、集まれる場所、そこが「家庭」なんですね。と私は思います。

こんなこと書くと、私の仕事に変な影響があるのかもしれませんが、自分の心に正直なところをここに書きたいと思ったのです。

今日は、そんなところで。

したっけ、また!

先日、お話をしたお客様は「ヤギも家族です」とのこと。

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